東北大学 ソフトマテリアル研究センター Advanced Imaging and Modeling Center
for Soft-materials (Tohoku AIMcS)

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[Press Release] 有機材料中の水素と重水素の分布を単一分子スケールで識別することに成功 新たな電子線分光技術により、分子や結合位置の特定に効力

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2025.03.25

国立大学法人東北大学
国立研究開発法人産業技術総合研究所
国立大学法人大阪大学
防衛省防衛大学校
国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)

発表のポイント

  • 独自に開発した電子線分光技術を用いて、有機材料中の水素と重水素(注1)の分布を、3ナノメートル(nm)(注2)という極めて高い空間分解能でイメージングすることに成功しました。
  • 計算科学との融合により、高分子科学における長年の未解決課題であったレプテーションモデル(注3)の実証に近づく重要な手がかりを得ました。
  • 本手法は、これまで観測が困難だった有機材料内部の化学結合や化学物質の空間分布を精密に特定できる新しいイメージング技術です。より高性能かつ高機能な材料の開発に向けた新たな指針を提供すると期待されます。

概要

プラスチックや有機半導体など高機能有機材料の特性を精緻に制御するには、材料内部の微細構造を分子レベルで解明することが不可欠です。しかし、これまで有機材料中の化学結合や分子の位置を分子レベルで特定できる技術がありませんでした。

東北大学多元物質科学研究所の陣内浩司教授と宮田智衆講師ら、産業技術総合研究所ナノ材料研究部門の千賀亮典主任研究員、大阪大学産業科学研究所の末永和知教授、防衛大学校応用物理学科の萩田克美講師のグループは、電子線による分子振動マッピング法を独自に開発し、炭素に対する水素と重水素の化学結合の違いを見分けることで、有機材料中に存在する重水素標識分子の空間分布を3 nmの分解能でイメージングすることに成功しました。本技術により、有機材料の精密な構造解析が可能となり、高性能かつ高機能な材料の開発が加速すると期待できます。

本研究成果は、2025年3月24日(英国時間)に、科学誌Nature Nanotechnologyに公開されます。

研究の背景

有機材料は、木材や繊維、プラスチック、ゴム、液晶、有機半導体、さらには医薬品に至るまで、私たちの身の回りで広く利用されています。これら多様な有機材料の性能を最大限に引き出し、品質を厳密に管理するためには、その構造と特性を分子レベルで精確に分析する必要があります。しかし、有機材料の内部構造、特に個々の分子の結合や形態、空間分布を把握することは、それらが同種の化合物の中に埋もれていることから極めて困難です。

この課題に対する有効な手法として、重水素標識法(注4)があります。この手法は、有機化合物の水素をその安定同位体である重水素で標識しても化学的性質が大きくは変わらないという特性を活かし、特定の官能基や分子のみを選択的に標識してその空間分布を計測することを可能にします。しかし、従来の重水素標識の観察法、例えば中性子イメージング(注5)や核磁気共鳴イメージング(MRI)(注6)では空間分解能(注7)が不十分であるため、標識された官能基や分子の正確な位置を分子スケールで特定することはできませんでした。

今回の取り組み

本研究グループは、独自に開発した透過型電子顕微鏡法(注8)技術を用いることで、高分子試料中の水素と重水素の空間分布を3 nm分解能で識別することに成功しました。従来の透過型電子顕微鏡法を用いたイメージングでは、水素と重水素が区別されずに観察されるため、これらの空間分布を分離して可視化することはできません。しかし、極めて高いエネルギー分解能を有する透過型電子顕微鏡を用いて電子エネルギー損失分光法(EELS)(注9)を行うと分子振動スペクトル(注10)を得ることが可能となり、炭素–水素(C–H)結合および炭素–重水素(C–D)結合の伸縮振動エネルギーの違いから、水素と重水素を識別できるようになります。さらに、試料に照射する電子線を原子サイズまで絞り込み、大きな角度に散乱された電子のみを分光する暗視野EELSという方法を使うことで、理論上サブナノメートル(約0.3 nm)の分解能でC-H結合とC-D結合をイメージングすることが可能となりました(図1)。

図1. 本研究で開発した手法の概要

この重水素イメージング技術の有効性を実証するため、重水素化ポリスチレン(dPS)と非重水素化ポリ(2-ビニルピリジン)(P2VP)からなるブロック共重合体(注11)dPS-block-P2VP薄膜を対象にイメージングを行いました(図2)。従来の環状暗視野走査透過型電子顕微鏡法(ADF-STEM)(注12)では、dPSとP2VPドメインがナノスケールで交互に配列するラメラ構造が観察されました。これに対し、今回開発した技術を用いてC–D結合とC–H結合の伸縮振動ピーク強度をマッピングしたところ、予想されていた通り各ドメインを明確に識別することに成功しました。さらに、dPSドメインがP2VPドメインをわずかに侵食している様子が明らかになりました。粗視化分子動力学法(粗視化MD)(注13)による計算から、これは表面エネルギーの微小な差異によりdPSがP2VPの膜表面に回り込んだ構造を観察したものであることがわかりました。このような分子レベルの局所構造の特定は、従来の分析技術では困難だったものです。

図2. ブロック共重合体の分析例1

次に、dPSと非重水素化ポリスチレン(PS)によるブロック共重合体dPS-block-PSについても本手法により分析を行いました(図3)。dPSとPSは炭素原子骨格が同一でその化学的性質が極めて近いため、各ブロック鎖がドメインを作らず分子レベルで混合した状態をとります。さらに、ADF-STEMによる観察ではdPSとPSが区別されずに観察されるため、試料内部での各ブロック鎖の空間分布を見分けることはできませんでした。しかし、今回開発した手法を用いてC–D結合とC–H結合の伸縮振動ピーク強度をマッピングすることで、各成分の不均一な分布を鮮明にイメージングすることに成功しました。それぞれのマップには10 nm以下の微細構造が多く含まれており、粗視化MD計算と組み合わせることで、この微細構造がレプテーションモデルにおいて高分子鎖が運動するチューブの太さに由来している可能性が示唆されました。DNAなどの生体高分子と比べてチューブが細い合成高分子においては、レプテーションチューブの直接観察は既存の分析技術では不可能であり、その存在を実験的には実証できていませんでした。本研究成果は、高分子科学の根幹をなすレプテーションモデルの実証に向けた非常に大きな一歩です。

図3. ブロック共重合体の分析例2

今後の展開

本研究で開発した分析手法は、レプテーションモデルのような基礎理論の実証にとどまらず、産業界における有機材料開発にも多大な貢献をもたらす可能性があります。例えば、高分子産業では樹脂やゴムなどの材料の物性や加工性を精密に制御するため、通常2~7成分程度の化学物質を混合しています。今回開発した手法を応用することで、こうした複雑な構造中においても、特定の化学結合や化学物質の空間分布を高精度で同定できるようになると予想されます。このような分子レベルの構造情報を得ることで、これまで解明が困難であった高分子材料の巨視的な物性や破壊特性の微視的起源を明らかにできる可能性があり、その結果、より高性能かつ高機能な材料の開発につながると期待されます。

謝辞

本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 CREST(JPMJCR1993、JPMJCR20B1)、同 さきがけ(JPMJPR2009)、日本学術振興会(JSPS)科研費(JP21H05235、JP22H00329、JP23H00277)、European Research Council “MORE-TEM”の助成を受けて行われました。中性子散乱実験は、東京大学物性研究所 附属中性子科学研究施設が運営するJRR-3全国共同利用一般課題(21404)において実施されました。

用語説明

注1.重水素:原子核が陽子1つと中性子1つで構成される水素の安定同位体。水素に対して質量は約2倍となるものの、ほぼ同じ化学的性質を示す。同位体は、原子番号が等しく、原子核の中性子数が異なる原子。

注2.ナノメートル(nm):1ナノメートルは10億分の1メートル。1ナノメートルは1 nmと表記する。

注3.レプテーションモデル:高分子のような鎖状構造がレプタイル(reptile:ヘビなどの爬虫類)のように軸方向に運動することを想定したモデルであり、高分子の粘弾特性を説明する代表的なモデル。

注4.重水素標識法:特定の分子や化合物に対して検出可能な標識(マーカー)を付加し、検出、可視化、または追跡する分子標識法の一種。有機化合物を構成する水素原子を重水素で置換し、水素と重水素の中性子数や質量が異なることを利用して中性子散乱法や核磁気共鳴法、質量分析法、赤外分光法などで重水素標識化合物を検出する。重水素と水素の化学的性質が極めて近いため、有機材料本来の構造や挙動を大きく変えることなく特定の分子や化合物のみを検出できるという利点がある。

注5.中性子イメージング:レントゲン撮影がX線を透過させて体の内部状態を調べるのに対し、中性子線を透過させて調べる技術。

注6.核磁気共鳴イメージング(MRI):原子核が磁場中でラジオ波を吸収する核磁気共鳴(NMR)現象を応用し、生体など有機物に含まれる水などの分布を断層画像として観察する技術。

注7.空間分解能:位置的に近接した2つの点が離れていると識別できる能力であり、その最小距離で表記する。

注8.透過型電子顕微鏡法:試料に高速電子線を照射し、透過した電子を検出して試料の内部構造の観察や電子エネルギー損失分光法(注9参照)による計測を行う手法。

注9.電子エネルギー損失分光法(EELS):電子線が試料を透過する際に損失したエネルギーで分光する手法。十分に単色化した電子線を用いると、透過電子線が試料内部の結合の伸縮・変角振動と相互作用することで損失したエネルギーをピークとして検出し、分子振動スペクトルを得ることが可能となる。本研究では、C-HおよびC-D結合の伸縮振動のエネルギーが異なる(異なる損失エネルギー位置にピークが現れる)ことを利用して各結合の空間分布をイメージングした。

注10.分子振動スペクトル:分子内結合の伸縮・変角振動との相互作用によって生じる電磁波の吸収や散乱、電子線のエネルギー吸収などの強度を、波数(波長の逆数)やエネルギーに対して表示したスペクトル。化学結合の種類や周囲の環境に応じて異なる波数・エネルギーに振動ピークが現れるため、化学結合の種類や割合、分子構造や配位環境の特定に利用される。主に赤外線のエネルギー領域に対応しており、電磁波を用いた一般的な測定手法に赤外分光法やラマン分光法がある。

注11.ブロック共重合体:化学組成の異なる複数の鎖(ブロック鎖)が末端で結合して単一の鎖となった高分子。各ブロック鎖の化学的性質が異なる場合、それぞれのブロック鎖が集合して周期的なドメイン構造を形成するミクロ相分離が起こる。各ブロック鎖の化学的性質が同一な場合、ミクロ相分離は起こらずお互いに混在した状態(相溶状態)をとる。

注12.環状暗視野走査透過型電子顕微鏡法(ADF-STEM):透過型電子顕微鏡法の一種。一点に収束させた電子線で試料上を走査(スキャン)し、各点を透過した電子を環状の検出器で検出し画像を構成する手法。

注13.粗視化分子動力学法(粗視化MD):分子内の部分構造を一つの粒子として扱い(粗視化)、各粒子に適切なポテンシャル(力場)を割り当ててニュートン方程式を解くことで、特定の温度での原子や分子の運動をシ
ミュレーションする手法。

論文情報

“Nanoscale C–H/C–D mapping of organic materials using electron spectroscopy”
千賀亮典*、萩田克美*、宮田智衆、王孝方、眞弓皓一、陣内浩司*、末永和知
*責任著者:東北大学 多元物質科学研究所 教授 陣内浩司、産業技術総合研究所ナノ材料研究部門 主任研究員(大阪大学 産業科学研究所 招へい准教授 兼任)千賀亮典、防衛大学校 応用物理学科 講師 萩田克美
Nature Nanotechnology
DOI:10.1038/s41565-025-01893-5

問い合わせ先

(研究に関すること)
東北大学多元物質科学研究所
教授 陣内 浩司(じんない ひろし)
TEL: 022-217-5329
Email: hiroshi.jinnai.d4*tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)

(報道に関すること)
東北大学多元物質科学研究所 広報情報室
TEL: 022-217-5198
Email: press.tagen*grp.tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)

産業技術総合研究所 ブランディング・広報部 報道室
TEL: 029-862-6216
Email: hodo-ml*aist.go.jp

大阪大学 産業科学研究所 広報室
TEL: 06-6879-8524
Email: press*sanken.osaka-u.ac.jp

防衛大学校 社会連携推進室
TEL: 046-841-3810
Email: ndainfo*nda.mod.go.jp(*を@に置き換えてください)

科学技術振興機構 広報課
TEL: 03-5214-8404
Email: jstkoho*jst.go.jp(*を@に置き換えてください)

(JST事業に関すること)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ
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TEL: 03-3512-3531
Email: crest*jst.go.jp(*を@に置き換えてください)